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Buffalo '66 | ||
バッファロー‘66 ……1998年 | |||||
独り言 | |||||
一人の映画人が自分のセンスで自由に作っちゃう映画は傑作か駄作かのどちらかになるのが定番だが、この映画は傑作。作品全体に漂う独特の雰囲気がなんともいえない。悩める主人公を見事に描き出している。脚本に多少無理はあるが、ヴィンセント・ギャロの役者としての味も監督としての味も十分に活かされている。 でも、何がいいって、一番しびれたのはイエスの「燃える朝やけ(Heart of the Sunrise)」だけがバックに流れる予告編。本編でもラスト近くの衝撃的な場面でこの曲が使われるが、予告編での使われ方の素晴らしいことと言ったらもう……。DVDに予告編も入っているので是非見てほしい。さらに、この曲を聴きたい方はイエスの「こわれもの(Fragile)」を探してください。1972年製作のアルバムだけど、いまだに店頭に並んでる。もしかしたら、今の時代にイエスやキング・クリムゾン(本編に「ムーン・チャイルド」が使われている)の曲って合うのかしら。 | |||||
トイレ | |||||
主人公のビリー(ヴィンセント・ギャロ)の描き方として面白いのがトイレ。冒頭のシーンで、出獄したビリーが刑務所前のベンチにしばらくいた後で門の守衛所まで戻りトイレを貸してくれと頼む。ベンチでのビリーがなんだか寂しそうで、行くところのないビリーがもう一度刑務所に入れてくれと頼んでいるようにも見える。守衛に「一度出た者はもう中には入れない」と断られて町に向かうバスに乗る。バスを降りてからトイレを探し続けるのだが、清掃中だったり閉店していたりでなかなか見つからない。ダンス教室のあるビル(ここでクリスティーナ・リッチ演ずるレイラに出会う)に入り込んでやっとトイレに入れるが、隣で用を足している男がしきりに股間を覗き込んでくる。覗かれることを異様に嫌がり隣の男を追い出してやっと落ち着いてできると思ったら、尿意まで追い出してしまったらしくもう出ない。結局、その後誘拐したレイラと車で父母の家に向かう途中に立小便をするのだが、そのときも執拗に見るなと言う。自分に対する自信のなさを表すとともに、外に向けての顔をつくらなくてすむ数少ない場所がトイレであることを表している。そのため、他人は絶対に入り込んではいけない。 父母の家では惨めだった過去の自分を思い知らされ、“デニーズ”ではかつて憧れていた女性に会うことで惨めさに拍車がかかる。そんな場所から逃げるように“デニーズ”を出てまたトイレを探すが、向かいのスタンドで断られる。ここでも簡単にトイレに行くことはできない。一人の世界を得ることは容易ではない。再び“デニーズ”へ戻りやっとトイレに入る。そして、トイレの中で「生きていけない」と本心をさらけ出す。 | |||||
風呂 | |||||
トイレが他人を受け付けない場所であれば風呂だって同じである。他人に入ってきてほしいはずがない。そこに入り込んでくるのがレイラ。「寒い」ということで、立小便のときのように「絶対にこちらを見るな」という条件付きで風呂場内に入れるが、少したってカットが変わるとレイラもバスタブの中にいる。一時的に心を許したのである。それでもレイラを先に風呂場から出し、自分はしっかり服を着て後から出てくる。やっぱり自信がない。 | |||||
ボーリング | |||||
ビリーが唯一自信を持っているのがボーリングという相手のいらないスポーツ。ボーリング場の主人(なんと、“ビッグ・ウェンズデー”のジャン・マイケル・ビンセント!)とは顔馴染みだし、専用のロッカー、マイボール、大会でのトロフィーなど、過去の栄光がここにはある。ビリーは自分が父母の家で改めて思い出すことになった惨めさから逃れようとするかのように、また、これからしようとしている復讐のための自信を回復しようとするかのように素晴らしい腕前を披露する。ところが、どうせできないだろうと思ってレイラに投げさせると、レイラは偶然ストライクを出してしまう。ビリーの自信はボロボロになってしまうが、その気持ちを振り払うかのように自分の計画のための電話をかけにいく。 また、このボーリング場の場面では、レイラがキング・クリムゾンの「ムーン・チャイルド」にあわせて踊るシーンがある。全編を通して内面があまり描かれないレイラの感情をうまく表現している。もしかしたら、曲のよさにごまかされているのかもしれないが。 | |||||
DATA | |||||
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1998年 アメリカ映画 日本公開1999年7月 上映時間118分 |