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今週の一本勝負
2005年7月〜12月


バロン
   The Adventures of Baron Munchausen
2005年12月31日  
監督:テリー・ギリアム
主演:ジョン・ネビル
    ユマ・サーマン
トルコの攻撃から町を守るために仲間とともに戦うバロン(ジョン・ネビル)の活躍を描いたファンタジー・アクション・活劇。
テリー・ギリアム監督の世界が思いっきり発揮された作品。とってもまじめな戦争ものが始まるかと思いきや仲間を見つけに月に行ってしまう。しかも気球で! 月から帰るときには、三日月のてっぺんまで登っていって、さてどうするのかと思ったら縄を垂らして降りる。なんともものすごい発想である。こういう馬鹿馬鹿しさを随所に盛り込みながらも、なんだかスカッとさせてくれる作品に仕上げているところはお見事。
モンティ・パイソン・シリーズのテリー・ギリアムなので、英語がわかればもっと細かいギャグが理解できて楽しめるかもしれないのにと、ちょっと残念。それにしても、このころのユマ・サーマンはきれいでした。ちなみに、サリー役のサラ・ポーリーの成長した姿は“死ぬまでにしたい10のこと(イザベル・コヘット監督)”で見られます。


サスペリア PART2
   Profondo Rosso
2005年12月21日  
監督:ダリオ・アルジェント
主演:デヴィッド・ヘミングス
    ダリア・ニコロディ
殺人事件の第一発見者になってしまったピアニストのマーカス(デヴィッド・ヘミングス)は、事件現場で知り合った記者のジャンナ(ダリア・ニコロディ)とともに独自の捜査を始める。しかし、マーカスの行く先々で次々に殺人事件が起こってしまう。犯人はいったい?
この作品の2年後に作られた“サスペリア”が日本では先に公開されヒットしたために、原題とは全く関係ない邦題がつけられて続編のような印象を与えてしまったが、“サスペリア”とは趣が異なる作品。ダリオ・アルジェントらしいショッキングなシーンも多くホラーとしても十分に楽しめるし、サスペンス・スリラーとしても(ちょっと甘さは感じられるが)楽しめる。いろいろな手段を使ってドキドキさせてくれる。特に効果的なのは犯人が殺人のときに流す童謡のような曲。初めて見たときからずっと忘れられずにいるほどで、今回もその曲が流れてきたときにはゾクゾクしてしまった。また、見た人のほとんどが絶賛するからくり人形。何度見てもほんとにビックリ!
ひとつ気になっているのは、マーカスが何度かタバコを手にするのだが、一度も火をつけないということ。何か意味があるのだろうか?


ニュースの天才
   Shattered Glass
2005年12月14日  
監督:ビリー・レイ
主演:ヘイデン・クリステンセン
    クロエ・セヴィニー
「ニュー・リパブリック」誌の若き記者スティーヴン・グラスが記事の捏造をした実話に基づく物語。
スティーヴン(ヘイデン・クリステンセン)は、大人になりきれていない甘ったれた狼少年のようで、そんな男がぐじぐじ悩みながら捏造を続け、発覚しそうになると泣き落とし、逆切れなどの手段に訴える。それなのに編集長や同僚は妙に優しい。こんな秘密をたくさん持っていそうな男にどうしてこんなに好意的なのだろうかと不思議でならなかった。実話だから関係者を好人物として描きたいのだろうかと思っていた。ところが、DVD特典にあったメイキングを見たら、ほとんどの出演者がスティーヴンは明るくて好かれる人物だと語っている。スティーヴンが出演者たちの言うような明るい人物に見えないということは、作り方で失敗しているということではないだろうか。また、メイキングでは両親を見返すために捏造をしたとヘイデン・クリステンセンが言っていたが、作品からそのことを読み取るのは難しいだろう。ストーリーは面白いので、メイキングを見なければそれなりの作品として評価できるのだが、メイキングで失敗作であることを暴露してしまったような気がする。


私の秘密の花
   La Flor de Mi Secreto
2005年12月7日  
監督:ペドロ・アルモドバル
主演:マリサ・パレデス
    イマノル・アリアス
素性を隠してアマンダ・グリスというペンネームを使う売れっ子の作家のレオ(マリサ・パレデス)は、軍人の夫パコ(イマノル・アリアス)との関係に悩んでいる。彼女の抱える悩みは作品にも悪影響を及ぼし始めてしまう。新たな自分を見いだそうとするレオは、新たな名前で文芸批評の仕事を手に入れ、夫との関係もうまくいきそうに見えたが……。
らしさを少し抑えたようなペドロ・アルモドバル作品。しかし、映像センスのよさは随所に見受けられる。屋外の色を全体的に控えめにしているために、より映えるお得意の原色。そして、その色は同時に主人公の心情を表す。夫の帰りを待ちわびるレオは初めベージュのドレスで迎えようとして家政婦にも見せるが、実際に迎えたときは真っ赤なドレス。また、レオに好意を寄せているアンヘル(フアン・エチャノバ)の服ははいつも暖色系。その他ほとんどの衣装がとても効果的であるし美しい。特にすばらしいのが、白衣を着た学生たちのデモでもみくちゃにされる失意のどん底にあるレオの、青いコートに赤い帽子という姿。
鏡や窓の使い方も見事である。夫が帰ってきたときの玄関でのキスシーンは、壁にかかったたくさんの鏡を通して見せるが、鏡の角度が微妙に違うためか2人の姿はバラバラに刻まれてしまったように見える。さらに、2人の口元は鏡の隙間に入ってしまって見えない。なんともうまい暗示である。
中年女性が主人公で脇にも若い美男美女が出ているわけではなく、ストーリーも中年女性の悩みがテーマという作品だが、オシャレで綺麗な作品。


クローサー
   Closer
2005年11月30日  
監督:マイク・ニコルズ
主演:ナタリー・ポートマン
    ジュリア・ロバーツ
新聞の死亡欄担当のダン(ジュード・ロウ)はニューヨークから来たというアリス(ナタリー・ポートマン)と出会い同棲を始める。しかし、カメラマンのアンナ(ジュリア・ロバーツ)にも恋をしてしまう。そこにチャットで知り合ったラリー(クライヴ・オーウェン)が絡み、4人の関係はますます複雑になっていく。
すごくすっきりしたロンドンの風景の中に、どろどろの人間関係が描かれている。展開が極端で、どの登場人物にもついていけない。みんな自己中心的な恐ろしい人間ばかりなのである。なかでも、ラリーの行動にはゾッとさせられる。ベテランのマイク・ニコルズ監督なのでストーリー展開の面白さはあるが、鑑賞後には何ともいえぬイヤ〜な気持ちになった。


海と毒薬
   
2005年11月23日  
監督:熊井啓
主演:奥田瑛二
    渡辺謙
太平洋戦争末期、医学生の勝呂(奥田瑛二)は外科病棟で働いていた。しかし、病院内の権力争いのために手術を行う医師たちの考え方についていけず悩み続ける。そんな中で、この人だけは死なせたくないと思っていた「おばはん(千石規子)」が死んでしまい、さらにとんでもない話を持ちかけられる。勝呂は……。
遠藤周作の同名小説の映画化。重いテーマの作品だが、最後まで一気に見せてしまうのは、熊井啓監督のうまさだろう。白黒ならではの、光と影を強く意識した画面が効果的である。特に、2度ある手術室のシーン。一度目は背景が黒いカーテンであるが、2度目はカーテンが開いていて大きな窓から光が差し込んでいる。それぞれ陰影がすばらしいのと同時に、2度の手術の雰囲気を全然違うものにしているところが見事である。
倫理観に悩み続ける主人公だけでなく、主人公の周辺にいる他の登場人物の心情も描かれていく。しかし、たくさんのことを語ろうとしすぎたのか、中途半端になってしまっている。個人的には、橋本教授(田村高廣)の良心(二度目の手術の後で手術室に戻ろうとしたところに描かれているが)、そして、夫人との関係はとても興味深いのだが。
人の命を尊重しなかったものに対する罰が死であるという皮肉もこめられているのかなぁ。


幕末太陽傳
   
2005年11月16日  
監督:川島雄三
主演:フランキー堺
    左幸子
幕末、品川の遊郭で金もないのに豪遊し、居残って働くことになった佐平次(フランキー堺)の生き方を描いたコメディ。
1957年の作品であるが、今でも十分鑑賞に堪える。舞台となる遊郭でのさまざまな出来事に関わる一人ひとりの人間を生き生きと表現しているし、いろいろなエピソードに無駄がない。川島雄三、田中啓一、今村昌平の3人による脚本がすばらしい。また、狭い部屋の多い遊郭内をカメラはうまく撮っている。平坦な画面になりがちな狭い部屋は、襖や障子を開けることにより廊下や外の景色が見える奥行きのある画面にしてしまうし、広い廊下と階段も効果的である。立体的な構図にかなりこだわったように感じられる。さらに、出演者がバラエティに富んでいる。南田洋子、石原裕次郎、芦川いづみ、金子信雄、山岡久乃、岡田真澄、菅井きん、小沢昭一、西村晃、熊倉一雄、殿山泰司、二谷英明、小林旭など、すごい顔ぶれである。
監督の川島雄三は45歳で急逝したが、もっと作品を残してほしかった。


オペラ座の怪人
   The Phantom of The Opera
2005年11月10日  
監督:ジョエル・シュマッカー
主演:ジェラルド・バトラー
    エミー・ロッサム
        
クリスティーナ(エミー・ロッサム)はオペラ座で端役を演じていたが、オペラ座の地下深くに住むというファントム(ジェラルド・バトラー)に見出され、プリマドンナとして舞台に立つことになる。しかし、幼なじみのラウル(パトリック・ウィルソン)と再会し、ラウルへの愛情がファントムを怒らせてしまう。クリスティーナを取り戻そうとするファントムは……。
ガストン・ルルー原作の怪奇小説の何度目かの映画化というより、ミュージカル“オペラ座の怪人”の映画化。オープニングの、カメラが写真の中に入り込んでいくシーンから、オークションにかけられたシャンデリアから往時のオペラ座へ移っていくシーン、クリスティーヌの歌っている時にカメラがオーケストラ・ボックスの床の通風孔?から地下へと降りていくシーンまでは映画として楽しめた。その後は何を見せたいのかがよくわからない。ミュージカルは目の前で生身の人間の身体が躍動し、力溢れる肉声が聞こえるから迫力を感じるものだろう。しかし、映画ではミュージカルと同じようなものを見せられ聞かされると、緊張感はないし迫力も半減してしまう。何か、映画ならではの工夫が必要なはずだ。シャンデリア落下のシーンも迫力が感じられなかったし。ロン・チャニーの“オペラの怪人”をもう一度見たくなってしまった。


ヘヴン
   Heaven
2005年11月2日  
監督:トム・ティクヴァ
主演:ケイト・ブランシェット
    ジョバンニ・リビージ
フィリッパ・パカード(ケイト・ブランシェット)は麻薬の元締めであるアルコム社の会長ヴェンディチェを殺そうとして時限爆弾を仕掛けたが、目的は達せず、かわりに無関係の4人の命を奪ってしまう。憲兵に捕まったフィリッパは憲兵本部長がヴェンディチェとつながっていたことに気付き、憲兵のフィリッポ(ジョバンニ・リビージ)の助けを借りてヴェンディチェを殺害する。そして2人は逃げる……。
トム・ティクヴァ監督といえば“ラン・ローラ・ラン”で主演のフランカ・ポテンテをひたすら走らせ、カメラで追い続けたが、この作品ではスペースカムによる空撮で逃げる二人を追う。お金かけて映画撮れるようになったということだろう。でも、やりたいことは変わってないようで、サスペンスをふんだんに盛り込んだラヴ・ストーリーになっている。フィリッパのしたことはけっして許されることではない。それでも見ていてつい同情してしまうところに、つくり方のうまさを感じる。オープニングのヘリコプター操縦訓練のシーンはちょっと気に入らないが、伏線として仕方がないのか。もっと違うつくり方があったのではないかしら。


上海から来た女
   The Lady From Shanghai
2005年10月26日  
監督:オーソン・ウェルズ
主演:オーソン・ウェルズ
    リタ・ヘイワース
公園で一目惚れしたエルザ(リタ・ヘイワース)の夫アーサー(エヴェレット・スローン)に船員として雇われたマイケル(オーソン・ウェルズ)は、エルザとの駆け落ち資金を稼ぐために、アーサーの仕事仲間であるジョージの計画を手伝うことになるのだが……。
オリジナルは2時間半くらいだったが、試写で不評だったために90分弱に再編集され、オーソン・ウェルズは不満を感じていたらしい。また、公開当時は批評家から酷評され、興行的にも大失敗の作品となった。しかし、現在ではオーソン・ウェルズの代表作として評価されている。
“市民ケーン”で見せたパン・フォーカスなどの撮影方法を随所に使い、白黒の特色を活かした映像はすばらしい。サスペンスを盛り上げるための影の使い方やカメラアングル、カメラの移動など、映像で語る作家であることを本当に感じさせてくれる。海へ飛び込むエルザを望遠鏡のレンズに映し、その望遠鏡が動くと覗いているジョージの顔が現れる場面は、アルフレッド・ヒッチコックの“裏窓”に影響を与えているに違いない。ラストの遊園地の“クレージー・ハウス”(日本の遊園地ならビックリハウス?)は、運命にもてあそばれているかのようなマイケルを象徴するのに効果的である。さらに、鏡の部屋での撃ち合いは、エルザとアーサーがお互いの偽りの部分を一枚一枚崩していくと同時に、自分自身を危険にさらしてもいることを暗示しているようで、単にスリリングなだけではない。こういう場面にも象徴性を持たせているのはさすがである。
全編がサスペンスタッチで描かれたこの作品で、一番コミカルなのが法廷シーンというのもおもしろい。


浮雲
   
2005年10月19日  
監督:成瀬巳喜男
主演:高峰秀子
    森雅之
昭和21年、戦争中に南方の仏印ダラットで恋に落ちた不倫相手の富岡(森雅之)をたずねて、幸田ゆき子(高峰秀子)は東京にやってくる。富岡は自分の家庭を第一にしようと考えていたが……。林芙美子原作の恋愛ドラマ。
この手のストーリーはちょっと苦手なのだが、うまく作ってあるなぁと感心しながら見た。終戦直後のごちゃごちゃになった東京。「どこか遠くへ行こうか」と死ぬ気で行った伊香保温泉の石段の多い狭い道。カメラはいろいろな方向から面白い構図で撮っている。室内に差し込む光も効果的で、いくつかの場面で見られるが、特にダラットの回想シーンでの、ブラインド越しに光が差し込み白い壁が縞模様になった廊下を白い服のゆき子が歩く場面は美しい。白黒作品ならではの美しさである。
このころの作品に登場するヒロインは皆美しく撮られている。この作品では、ラスト近くで病の床にある高峰秀子が他のどのシーンより美しく、印象深い。


野獣の青春
   
2005年10月12日  
監督:鈴木清順
主演:宍戸錠
    渡辺美佐子
流れ者の水野錠次(宍戸錠)は暴力団の野本興業に雇われる。同時に、対立している三光組にもスパイとして雇われる。果たして錠次の目的は……。大藪春彦の「人狩り」が原作のハードボイルド。
タイトルは「野獣の青春」の「の」だけが赤。そして、白黒で撮影された竹下刑事の死体が発見された場面で、花瓶の赤い花だけがカラーというしゃれた始まり方から、次のシーンでは全体がカラーになる。このシーンはエンディングへの伏線にもなっている。とにかく映像にこだわった鈴木清順らしいオープニングである。色へのこだわりも随所に見受けられる。野本(小林昭二)が裏切った女を鞭で打つシーンの空の色はなんともいえない。また、お得意のガラスの越しのカットも面白い。ガラスの床の下にカメラがあったり、顔を押し付けられたガラスのこちら側にカメラがあったりして独特の画面を作っている。“ツィゴイネルワイゼン”や“陽炎座”の世界はこのころの作品にもしっかりと現れている。


バートン・フィンク
   Barton Fink
2005年10月5日  
監督:ジョエル・コーエン
主演:ジョン・タトゥーロ
    ジョン・グッドマン
ニューヨークで演劇の脚本家として有名になったバートン・フィンク(ジョン・タトゥーロ)は、ハリウッドで映画の脚本を書くことになる。庶民の生活の中にこそテーマがあると信じているバートンは、暑さで壁紙がはがれてしまうような安ホテルに滞在し執筆に取りかかるが、なかなか書くことができない。偶然親しくなった隣の部屋のチャーリー(ジョン・グッドマン)と、敬愛していた脚本家のメイヒュー(ジョン・マホーニー)が相談相手となるのだが……。
カラッとしたロスの屋外と対照的な、薄暗い安ホテル内の暑さの描写が見事な効果をあげている。壁紙を貼り付けていた接着剤がトロトロ溶け出したり、太ったチャーリーのシャツの背中が汗で湿っていたり、ちょっと不快感を与える描写であるが、筆の進まないライターの部屋にはピッタリである。そんな部屋の壁にかけてある海辺の女性の絵や、チャーリーのセリフが伏線としてもうまく使われている。ホテルの従業員のチェット(スティーヴ・ブシェミ)もすばらしい。
バートンはチャーリーに対して、社長の前で何も言えないことの憂さを晴らすためか、自分が正義であると言わんばかりに脚本に対する考えをまくし立てるが、バートンの苛立ちは彼の書きたいと思っている市井の人々の悩みと比べたらかなり低レベルのもの。チャーリーがラスト近くで言うセリフがバートンにそのことを気づかせる。もしかしたら、そんな暗いホテルで悩んでないで、太陽の下に出ておいでというテーマの作品かもしれない。コーエン兄弟のものでは一番好きな作品。


赤いアモーレ
   Non ti Muovere
2005年9月28日  
監督:セルジオ・カステリット
主演:ペネロペ・クルス
    セルジオ・カステリット
ある日、外科医のティモーティオ(セルジオ・カステリット)は娘が交通事故で自分の勤める病院に運びこまれたことを知る。娘が危篤状態で生死をさまよっている間に、治療室の外でティモーティオが思い出していたのは、娘が生まれる前の不倫相手イタリア(ペネロペ・クルス)のことだった。
男の身勝手さに腹の立つ女性もいるかもしれない作品。病院の外の通路に椅子を出して、雨の中で座っていた人物をティモーティオの幻覚と見るか否かで解釈は変わってくるが、ティモーティオ以外の人物にも見えていたのだとしたら、とても幸せな結末のはずである。逆に、ティモーティオにしか見えていなかったとしたら、女性の皆さん、どうぞ腹をお立てください。
作品としてはとてもうまく作られていると思う。雨が降る交通事故現場の俯瞰という始まりは印象的だったし、赤い靴やイタリアのバッグなどの小道具もうまかった。ペネロペ・クルスもうまかった。ペネロペ・クルスはお金持ちのお嬢様より、口汚く罵る貧しい娘の役のほうが合ってる。小生の趣味の問題だろうか?


フリーダ
   Frida
2005年9月21日  
監督:ジュリー・テイモア
主演:サルマ・ハエック
    アルフレッド・モリナ
メキシコの女流画家フリーダ・カーロの生涯を描いた作品。フリーダ(サルマ・ハエック)は18歳のときに交通事故で重症を負ったことが原因で絵を描くようになり、絵を通して、壁画家で共産主義者のディエロ・リベラ(アルフレッド・モリナ)と結ばれる。そしてその後の波乱万丈の人生は……。
フリーダ・カーロに興味のない人でも十分楽しめる作品。まず、この作品のつかみは眉毛。眉毛のつながったフリーダの顔は、ストーリー展開の邪魔をしてしまうのではないかと思われるほど強烈な印象を与える。しかし、いつのまにか眉毛よりも作品に引き込まれてしまう。オープニングのフリーダの家の青とフリーダの着ているドレスの赤、フリーダが交通事故で重症を負ったときの金色など色使いもすばらしいし、脚本もうまい。脇役でアントニオ・バンデラスやアシュレイ・ジャドが出てたりして役者も豪華。ちなみに、ディエロ・リベラはポール・トーマス・アンダーソン監督の“ブギーナイツ”で踊り狂ってた麻薬の売人を演じてた人。ブッ飛んでました。


死ぬまでにしたい10のこと
   My Life without Me
2005年9月14日  
監督:イザベル・コヘット
主演:サラ・ポーリー
    マーク・ルファロ
アン(サラ・ポーリー)は23歳。17歳で長女を出産、その後次女も生まれ、母の家の庭のトレーラーハウスで定職のない夫とつつましい生活を送っていた。ある日アンは突然医者から死の宣告を受けた。アンは死までの数ヶ月をどのように過ごすのか。
エグゼクティヴ・プロデューサーがペドロ・アルモドバルだけあって、これだけ重い話を実にうまく料理している。登場人物が皆、暗い過去を持っているが(能天気なのは旦那だけ)、この手の作品にありがちな感情をむき出しにして叫びまくるようなシーンはなく、せつなさをじわじわと与える作品になっている。劇的な演出もせず、淡々と描いていることが効果をあげている。主人公が優等生過ぎるような気もするが、同じ状況になったらド派手なことはできないのかもしれない。
アンの母親を演じていたのは、かつてブロンディ(最近サッポロのCMで流れているパラゴンズの“The Tide is High”を、かつて“夢見るNo.1”という邦題でカバーしてヒットさせた)のボーカルだったデボラ・ハリー。歳とりましたねぇ。デビッド・クローネンバーグの“ヴィデオドローム”は印象的だったなぁ。


モンスター
   Monster
2005年9月2日  
監督:パティ・ジェンキンス
主演:シャーリーズ・セロン
    クリスティーナ・リッチ
自殺を考えていた娼婦アイリーン(シャーリーズ・セロン)はバーでセルビー(クリスティーナ・リッチ)と知り合う。孤独だったセルビーを好きになり、セルビーのために街頭に立つアイリーンは、客に襲われるが……。実話に基づいたひとりの女性の物語。
シャーリーズ・セロンはこの役のために13キロ以上も太ったそうだが、その効果は十分に出ている。今までのイメージは全くない。汚れ役を怪演している。こんなに根性のある女優だとは思っていなかった。また、クリスティーナ・リッチも、母親に甘えるようにアイリーンに接するわがままで自分勝手なセルビーを好演している。左の上唇をちょっと上げてシニカルに笑う表情が何とも言えない。
ところで、作品中でも流れたジャーニーの“Don't Stop Believin'”がエンドロールでも流れる。鑑賞後の気分を見事にぶち壊してくれた。


ボン・ヴォヤージュ
   Bon Voyage
2005年8月26日  
監督:ジャン=ポール・ラプノー
主演:グレゴリ・デランジェール
    イザベル・アジャーニ
第2次大戦中のフランスを舞台に繰り広げられる人間ドラマ。オジェ(グレゴリ・デランジェール)は幼なじみの女優ヴィヴィアンヌ(イザベル・アジャーニ)に翻弄されながらも、自分の思うところを貫こうとする。
奇抜さはないが、きっちり作りこんだという感じがする。脇を固めるジェラール・ドパルデュー、イヴァン・アタル、ピーター・コヨーテなどの役者もみなうまい。特に、愛すべき悪党であるラウル(イヴァン・アタル)はよかった。女性に縁がなく、オジェを羨ましそうに見ていたが、最後は女性に囲まれる? また、オジェのまわりの二人の女性は対照的に描かれていておもしろい。イザベル・アジャーニが表情で思いっきり語るのに対し、ヴィルジニー・ルドワイヤンは全身で感情を表現する。この2人の女優を見ているだけでも十分楽しめる作品。それにしても、イザベル・アジャーニはこのとき52か3のはずなのだが……。


グランド・ホテル
   Grand Hotel
2005年8月20日  
監督:エドマンド・グールディング
主演:グレタ・ガルボ
    ジョン・バリモア
第一次大戦後、繁栄を極めたベルリンのグランド・ホテル内での人間模様を描いた群像劇。自分の時代は終わったのではないかと悩むバレリーナのグルシンスカヤ(グレタ・ガルボ)、グルシンスカヤを本気で愛してしまう実は泥棒のガイゲルン男爵(ジョン・バリモア)、医者から死の宣告を受けて残りの人生を派手に楽しもうとするクリンゲライン(ライオネル・バリモア)、合併に会社の将来がかかっている経営者のプレイジング(ウォーレス・ビアリー)、プレイジングに雇われた速記者フレムヒェン(ジョーン・クロフォード)と、まったく違った世界の人々が個性的な役者たちによって見事に演じられている。
さまざまな人物の姿が並行して描かれ、後に「グランド・ホテル形式」と呼ばれることになる。ロバート・アルトマンなどによる最近の群像劇に比べると、主要登場人物がそれほど多くなくわかりやすい。性格描写もしっかりしている。そして、カメラはホテル前の道路以外は外に出ることがなく、人間をひたすら追い続ける。1932年の作品であるが、古さを感じさせない秀作である。


バチ当たり修道院の最期
   Entre tinieblas
2005年8月14日  
監督:ペドロ・アルモドバル
主演:クリスティーナ・サンチェス・
    パスカル
    フリエタ・セラーノ
恋人が薬で死んだ時に同じ部屋にいたヨランダ(クリスティーナ・サンチェス・パスカル)は駆けこみ寺に逃れる。ところが、その駆けこみ寺は侯爵夫人からの寄進がなくなり財政的に大ピンチ。また、クスリの常習者がいたり、虎を飼う者がいたり、ペンネームを使って官能小説を書く者がいたりと、修道女たちは皆一風変わっている。そんな中でヨランダは……。
駆けこみ寺を社会の縮図として表現し、その中でヨランダが何を選択していくのかを、ペドロ・アルモドバルらしい独特のタッチで描いている。初期のペドロ・アルモドバルだから設定も何もすべてぶっ飛んでて、一見とても不真面目な作品なのだが、人間が怖いくらいにしっかり描かれている。修道女たちの全員に共通していることは禁断の愛。尼長(フリエタ・セラーノ)は駆けこんできた娘たちに対する同性愛。しかし、娘たちはそのうち尼長から離れていく。毒蛇尼(リナ・カナレハス)は神父との愛。肥溜め尼(マリサ・パレデス)は尼長への愛。そのためにはどんな苦行にも耐える。堕落尼(カルメン・マウラ)は虎をはじめとする動物への愛。そしてドブ鼠尼(チェス・ランプレアヴェ)は現実でかなわない愛を小説で成就しようとする。修道女たちの耐え続ける生き方に対しヨランダは……。
映像もペドロ・アルモドバルらしさがいたるところにある。構図はどの場面も1枚の絵として残せるくらいしっかりしている。また、赤と青の色使いが巧みで、華やかさを醸し出すとともに心理描写をサポートする効果もちゃんと持たせている。ラストシーンの色使いは見事である。


キープ・クール
   有話好好説
2005年8月1日  
監督:チェン・イーモウ
主演:チアン・ウェン
    リー・パオティエン
本屋の趙小帥(チアン・ウェン)は、元恋人の安紅(チュイ・イン)の心を取り戻そうと一所懸命だったが、安紅の現在の恋人であるナイトクラブ社長の劉にボコボコにされてしまう。その騒ぎの中で趙にパソコンを壊された張秋生(リー・パオティエン)は、弁償してもらおうと奔走する。劉への復讐に燃える趙は、張の計らいで劉に会えることになるが……。
とにかく手持ちのカメラであちこち動きながら撮影していて落ち着かない。気持ちの揺れを表すにしても、カメラを動かしすぎている。レストランでかなり長い時間劉を待つシーンで、趙と張を撮っているカメラは動きっぱなし。こんなに待つ時間を長くする必要はないのではないかと思える。カメラ動いてますよ〜って見せつけるために長くしているのだろうか?
安紅が後半まったく登場しない、終わらせ方が少し強引など、脚本にも不満はある。それでも勢いがあって面白い作品。


オーシャンズ11
   Ocean's Eleven
2005年7月25日  
監督:スティーブン・ソダーバーグ
主演:ジョージ・クルーニー
    ブラッド・ピット
オールスター・キャストの金庫破り大作戦。出所したばかりのダニー(ジョージ・クルーニー)はラスティー(ブラッド・ピット)とともに、ラスヴェガスのカジノの金庫を襲う計画を進めていく。“七人の侍”のようにメンバーを集めることから始め、計画は順調に進んでいくように見えたが……。
主演のジョージ・クルーニーに“スティング”のポール・ニューマンほどのカッコよさがないのが残念だが、他の登場人物はそれぞれの役者の個性をうまく活かしている。狙われるカジノのオーナーは被害者にあたるはずなのに、登場した途端に悪役に見せてしまうのは、さすがアンディ・ガルシア。ちょっとドジな爆弾のプロを演じるドン・チードル(なぜか、エンド・クレジットに名前が出てこない)。一流の腕前だが頼りなさも感じてしまうスリはマット・デイモン。アンディ・ガルシア演じるベネディクトに自分のホテルを奪われた、どこか怪しげな出資者がエリオット・グールド。そして、スティーブン・ソダーバーグ監督といえばヒロインはジュリア・ロバーツ。他にも個性的な役者がたくさん登場し、それぞれの味を出している。凝りすぎない演出がうまい。


トリコロールに燃えて
   Head in to Clouds
2005年7月18日  
監督:ジョン・ダイガン
主演:シャーリーズ・セロン
    ペネロペ・クルス
ギルダ(シャーリーズ・セロン)と知り合ったガイ(スチュアート・タウンゼント)は、パリでギルダの友達ミア(ペネロペ・クルス)と3人の生活を始めることになる。第二次世界大戦前の不安定な社会情勢の中で、3人の関係は少しずつ変化していく。そして、パリがドイツに占領され……。
オープニング、ギルダは占い師から「34歳より先が見えない」と言われ、それが彼女の生き方に影響を及ぼす。自分の寿命を知った女性の一代記である。主人公はギルダなのだろうが、作品はガイの目を通して描かれているため、今ひとつ感情移入できない。ギルダを謎の多い女性としてより魅力的に見せたいのかもしれないが、もう少し作りようがあったのではないか。
戦争という時代背景の中で、主要登場人物がひとりも運命に逆らえないという結果で終わってしまうのもすきっとしないし……。


シークレット・ウィンドウ
   Secret Window
2005年7月11日  
監督:デビッド・コープ
主演:ジョニー・デップ
    ジョン・タトゥーロ
 
        
妻の浮気を発見し、別居するようになって半年の作家モート(ジョニー・デップ)は、ある日シューターという男(ジョン・タトゥーロ)から「シークレット・ウィンドウ」という以前書いた作品が盗作だと詰め寄られる。その後、飼い犬を殺され殺人にも巻き込まれてしまう。シューターとは何者? 事件の真相は?
スティーブン・キングの原作を、アルフレッド・ヒッチコックを思いっきり意識して撮ったという感じの作品。オープニング、カメラは湖の上を通って、湖畔の家の側面に回り、二階の窓から屋内に入って、机の上を見せてから階段を降り、鏡を通り抜けてモートを映しだす。“レベッカ”や“サイコ”を彷彿させるが、やりすぎという気もする。後に、鏡は重要な役割をしていることがわかるので、ここでカメラが通過するのは仕方ないのかもしれないが、湖を渡りきる辺りからワンカットにしているのがいただけない。湖を通って悪霊でもやってきたのかと思えてしまう。ここ以外でもカメラはよく動く。カメラが動くと画面の安定感がなくなり、観客の不安を煽ることになる。ただし、やりすぎると観客は慣れてしまって、逆に作品のメリハリがなくなる。常に、何かが起こりそうな雰囲気だけあって結局たいしたことは起こらないということが多くなる。この作品の場合はやりすぎではないかなぁ。監督は、ブライアン・デ・パルマの“カリートの道”“ミッション:インポッシブル”“スネーク・アイズ”の脚本を手がけているので、かなり影響を受けているのではないだろうか。他にも“ジェラシック・パーク”“パニック・ルーム”“スパイダーマン”“宇宙戦争”等の脚本も書いており、脚本家としては一流である。


ノックは無用
   Don't Bother to Knock
2005年7月4日  
監督:ロイ・ベイカー
主演:マリリン・モンロー
    リチャード・ウィドマーク
パイロットの恋人を亡くしたネル(マリリン・モンロー)は、叔父がエレヴェーター・ボーイをしているニューヨークのホテルでベビーシッターをすることになる。そこで偶然知り合ったジェド(リチャード・ウィドマーク)は恋人のリン(アン・バンクロフト)から別れを告げられたばかり。ジェドがパイロットだったことからネルはジェドをかつての恋人と思い込んでいく。
サスペンスなんだかメロドラマなんだかコメディなんだかよくわからないが、マリリン・モンローの魅力は十分に出ている。個人的には、いろいろな部分でもっとドキドキさせてくれる作品にしてほしかった。ちょっと変えればサスペンスを盛り上げられるシーンはとってもたくさんあると思う。
マリリン・モンローというとセックスシンボルのイメージが強いが、女優としてもなかなかうまいということを教えてくれる作品。


映画への独り言