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今週の一本勝負
2006年7月〜12月


アルファヴィル
   Alphaville
2006年12月26日  
監督:ジャン=リュック・ゴダール
主演:エディ・コンスタンティーヌ
    アンナ・カリーナ


        
1984年、探偵レミー・コーション(エディ・コンスタンティーヌ)は、ブラウン教授(ハワード・ヴェルノン)と先に派遣されたアンリ(エイキム・タミロフ)を救い出す任務のために、星雲都市アルファヴィルに潜入する。アルファヴィルはα60というコンピュータに人間が管理された都市で、人々は感情をもつことを禁止されていた。レミーは接待係でブラウン教授の娘のナターシャ(アンナ・カリーナ)に出会って……。
SFらしくないという人が多いが、コンピュータvs.人間という構図の立派なSF作品。ラウール・クタールの見事なカメラワークが、SFっぽくない背景を忘れさせてくれる。オープニングでホテルに着いたレミーがエレヴェーターに乗って3階に行くワンカットの場面は、カメラをガラス張りのエレヴェーターの外側においてエレヴェーターと一緒に移動し中のレミーを追い続ける。このような長回しが不思議な雰囲気を醸し出している。α60の見せ方(“2001年宇宙の旅”のHAL9000に影響を与えている?)と声もすばらしい。ゴダールの作品なので、α60の支配する世界は共産主義への批判であるとか、いろいろと考えられるのだろうが、そんなことを無視しても十分に楽しめるハードボイルド・タッチの作品である。
ところで、「それは夜も昼も変化しないもの そのために過去は未来を示し 一直線に進み だが最後には出発点へと戻るもの」、これが理解できるとα60は自滅するらしいが……。


マンダレイ
   Manderlay
2006年12月19日  
監督:ラース・フォン・トリアー
主演:ブライス・ダラス・ハワード
    イザック・ド・バンコレ


        
1933年、ドッグヴィルをあとにしたグレース(ブライス・ダラス・ハワード)とギャングの父(ウィレム・デフォー)一行は「マンダレイ」という農園の前に来る。そこは奴隷制度のあった時代のままの状態だった。正義感に駆られたグレースはマンダレイに留まることを決意し、ギャングの数名を従えてマンダレイを変えようとするが……。
“ドッグヴィル”に次ぐラース・フォン・トリアーのアメリカ三部作第二弾。グレースがニコール・キッドマンからブライス・ダラス・ハワードに変わって、少しパワーダウンした感じがするが、前作以上のアメリカ批判炸裂の作品。一見、正義の味方のグレースだが、彼女のバックには銃を持ったギャングがいる。マンダレイの人々が彼女の言うとおりになる理由のひとつであることは確かだろう。そして、グレースは彼女流の価値観や民主主義を押し付けるが、それは必ずしも良い結果をもたらすわけではない。アメリカがいろいろな国にしたように。そして、最終的に責任を取らざるを得なくなると逃げ出してしまう。
“ドッグヴィル”と同様にセットは舞台劇のようで、カットのつなぎも微妙にタイミングをずらしていたりして、敢えて映画らしさを消しているように思える。思いテーマをリアルに描くことの重さを考慮して、寸劇のように見せているのだろうか。


空中庭園
   
2006年12月12日  
監督:豊田利晃
主演:小泉今日子
    鈴木杏


        
東京郊外のニュータウンに住む京橋家は隠し事を一切しないということがルール。しかし、実際には全員が秘密を持っている。父親である貴史(板尾創路)は愛人を2人持ち、娘のマナ(鈴木杏)は不登校でボーイフレンドとラブホテルにも行く、息子のコウ(広田雅裕)も学校をサボりがち、そして母親の絵里子(小泉今日子)の秘密は……。そんな家庭が少しずつ壊れていき……。
不安定な家庭を象徴するかのように、カメラは右へ左へゆらりゆらり。とにかく、象徴的な表現や伏線が多い作品。オープニングのバベルの塔(?)が描かれた電灯のかさや、ベランダに絵里子が作っている庭園は京橋家そのものである。さらに、長女の仕込まれた場所であるラブホテルが第2の舞台のように頻繁に出てきたり、「人間は血まみれで生まれてくる」という表現が出てきたりするのは、ラストへの伏線。原作か脚本かわからないが、しっかり作り込まれている。
小泉今日子もよかったが、もっとよかったのが絵里子の母である木ノ崎さと子役の大楠道代。不良の婆さんを気持ちよく演じてくれた。さと子とミーナ(ソニン)の誕生会の後でさと子が繰り返し口にする言葉もラストを暗示している。


恐るべき子供たち
   Les Enfants Terribles
2006年12月5日  
監督:ジャン=ピエール・メルヴィル
主演:ニコール・ステファーヌ
    エドアール・デルミ


        
姉弟であるエリザベート(ニコール・ステファーヌ)とポール(エドアール・デルミ)は病気の母(マリア・シリアキュス)と暮らしているが、汚れ放題の姉弟の部屋は2人だけの神聖な場所。ところが、ある晩ポールは密かに心を寄せるダルジュロス(ルネ・コジマ)に石の入った雪玉を投げつけられ負傷し、友人のジェラール(ジャック・ベルナール)に付き添ってもらい帰宅する。エリザベートは自分たちの家に他人が入り込むことを嫌がり、その気持ちは弟に向かってぶつけられる。2人の世界を維持し続けたいと思いながらも、それが無理だということを感じ始めた姉弟は……。
ジャン・コクトーの原作を当時新人だったメルヴィルが製作・監督した作品。コクトーの原作のすばさしさをメルヴィルは見事に映像化した。モノクロならではの映像の美しさを活かしながら、当時としては斬新であったであろう工夫をいたるところに凝らし、姉弟と彼らを取り巻く人物の心情を細かく描いている。ジェラールが2人に距離を感じてしまう場面では、窓の外にカメラを置き、窓辺のジェラールと部屋の中にいる姉弟とをセットを動かして実際に遠ざけてしまう。コクトーとメルヴィルの共同脚本だが、台詞はコクトーが担当している。また、ナレーションもコクトーが担当している。
エリザベートを演じたニコール・ステファーヌの熱演も賞賛に値する。


マダムと奇人と殺人と
   Madame Edouard
2006年11月28日  
監督:ナディーヌ・モンフィス
主演:ミシェル・ブラン
    ディディエ・ブルドン


        
ブリュッセルの墓地で起こった美大生を狙った連続殺人事件の捜査を担当するレオン警視(ミシェル・ブラン)と部下のボルネオ(オリヴィエ・ブロシュ)。近くのビストロ“突然死”のおかしな常連客たちは最初の被害者が“突然死”に下宿している女性だと知るが、店の評判のために警視には教えないことにしてしまう。そんなとき、“突然死”に下宿しているオカマのイルマ(ディディエ・ブルドン)の娘マリー(ジュリー=アンヌ・ロス)が父を訪ねて現れ……。
一見仲が悪そうでいつも悪口を言い合いながらも、実は友情で結ばれている人たちが作り出す世界はすばらしい。この作品に登場する“突然死”に集まる人々はまさにその典型。さらに、警視の母親(アニー・コルディ)や軽視の部下のボルネオ、警視の秘書(?)のニーナ(ジョジアーヌ・バラスコ)など、他の登場人物も物凄く個性的で、とてもまとまりがつく作品になるとは思えないのだが、なんともいえない雰囲気を醸し出す不思議な作品に仕上がっている。そのため、軸となる殺人事件の展開のちょっと物足りないところも許せてしまう。
ユーモアたっぷりで、壊し屋のボルネオや懸賞好きの警視の母、色のアドバイスをしたりする盲目の客、ファッションセンス抜群のニーナなどが登場のたびに笑わせてくれる。また、ベルギー出身の画家ルネ・マグリットへのオマージュがチラチラと見え隠れするところもおもしろい。


アメリカ,家族のいる風景
   Don't Come Knocking
2006年11月21日  
監督:ヴィム・ヴェンダース
主演:サム・シェパード
    ジェシカ・ラング


        
かつて西部劇のスターだったハワード・スペンス(サム・シェパード)は、ある日撮影現場から逃げ出し、30年近く会っていなかった母(エヴァ・マリー・セイント)のもとへ向かう。20数年前ハワードの子どもを妊娠したという女性から電話があったことを母から聞いたハワードは、わが子に会うためにモンタナへ向かうが……。
“パリ・テキサス”以来のヴェンダースとサム・シェパードのコンビでアメリカを撮った美しい作品。役者もジェシカ・ラング、ティム・ロス、エヴァ・マリー・セイント、サラ・ポーリーなど、みな個性的でおもしろい。特に、ジェシカ・ラングはすばらしかった。未婚の母として約20年子どもを育ててきたドリーンのもとに、突然子どもの父親であるハワードが訪れる。非常に複雑な心境であるはずの女性をジェシカ・ラングは見事に演じている。また、ヴェンダースの作品には珍しいタイプのキャラクターであるサターを演じたティム・ロスは、主人公と対照的な人物をうまく演じて、主人公を引き立てている。
一時的に家族に憧れ、しかし、家族の中には戻れないハワードが路上に散乱した家具の中で一夜を明かすなど、象徴的な部分が多く、しかも映像が美しい。とてもよくできた作品である。


タブロイド
   Cronicas
2006年11月14日  
監督:セバスチャン・コルデロ
主演:ジョン・レグイザモ
    レオノール・ワトリング


        
子どもばかりを狙った連続殺人犯“モンスター”をエクアドルで取材していたテレビ・リポーターのマノロ(ジョン・レグイザモ)らは、誤って子どもをはねてしまったビニシオ(ダミアン・アルカザール)が群衆から集団リンチにあう場面に遭遇する。投獄されたビニシオはマノロに“モンスター”の情報と引き換えに無実をテレビで明らかにしてくれるよう頼むが……。
メキシコ・エクアドル製作の野心作。冒頭の水から上がってくるビニシオの怪しげな様子から、集団リンチの場面までの展開はすばらしい。集団リンチの映像はリアルで、迫力満点。人間の恐ろしさを見事に表現している。ただ、この場面があまりにもすばらしいために、その後の場面に物足りなさを感じてしまう。取材クルーの3人の人間関係は中途半端にしか描かれないし、まだ発見されていなかった少女の遺体を見つけた後のそれぞれの心理描写も丁寧さに欠けている。
報道の持つ力とその恐ろしさ、そしてその力に流されていく人間。操っているつもりが実は操られていて、取り返しのつかない状況へ追い込まれていく登場人物たち。非常に面白いテーマで、ロケーションもよく、いい作品なのだが、細かい部分にもっと気を使ってほしかった。


オリエント急行殺人事件
   Murder on the Orient Express
2006年11月7日  
監督:シドニー・ルメット
主演:アルバート・フィニー
    ローレン・バコール


        
アガサ・クリスティのあまりにも有名なだけに、観客の半分以上が犯人を知っていて見に行ったのではないかと思われる作品。エルキュール・ポアロ(アルバート・フィニー)はイスタンブールからフランスのカレーに向かうオリエント急行の中で殺人事件の発見者となる。犯人は車輌に乗り合わせた車掌と12人の乗客の中にいるはずとして捜査を始めていく。
娯楽作品としてすばらしい出来栄え。まずそれぞれの役者の登場の仕方がお見事。ショーン・コネリーはワイルドに(羊の群れの中を通ったりする)、ローレン・バコールはきらびやかなドレスで優雅に(斜めにかぶった帽子が効果的)、ジャクリーン・ビセットとマイケル・ヨークは若い美男美女の夫婦でほほえましく、リチャード・ウィドマークはいかにも傲慢そうに、アンソニー・パーキンスは少し頼りなげに(終盤でマザコンだということになってしまうのは“サイコ”のイメージを引きずり過ぎでは……)と、みんなイメージにピッタリの登場で嬉しくなる。そんな中で異彩を放っているのがイングリッド・バーグマン。熱心なクリスチャンの英語教師で、おどおどしていて風貌もぱっとしない。しかし、本人が希望したというこの役を完璧に演じている。そして、オリエント急行の発車の場面、三つのヘッドライトが点灯するところでの音楽を使った盛り上げ方はとてもうまく、そのまま音楽のリズム(ワルツ)にあわせるように列車は走っていく。
その後は車内での密室劇になるが、“十二人の怒れる男”を撮ったシドニー・ルメットだけに、役者たちをうまく演じさせている。“十二人の怒れる男”では12人の陪審員を描いたが、この作品で描いたのは12人(おまけが1人いて厳密に言えば13人)の……。
オープニングで、アームストロング家の悲劇をかなり詳しく描いておいて、謎解きの無理矢理さを感じさせない脚本もよくできていると思う。ポアロの推理にはかなりこじつけがあると思うのだが、アームストロング家の出来事を知っている観客はポアロと同じような考え方をさせられてしまう。その謎解きの場面は、列車の中という細長い空間であるため、全員が映し出されていることが多い。そして、謎解きの後の乗客たちが1人ひとり乾杯をしていく場面は、カーテン・コールに答えているようにも見える。オールスター・キャストを最後まで楽しませてくれる演出は心憎いまでである。


ミュンヘン
   Munich
2006年10月31日  
監督:スティーヴン・スピルバーグ
主演:エリック・バナ
    ダニエル・クレイグ

        
1972年、ミュンヘン・オリンピックの選手村でパレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手殺害事件が起きた。イスラエル政府は密かに暗殺部隊を作り、パレスチナ幹部の暗殺を謀る。暗殺部隊のリーダーとなったアヴナー(エリック・バナ)は4人の仲間とともに計画を実行していくが……。
スピルバーグは何を訴えたかったのだろうか? 暗殺部隊のリーダーとなったアヴナーはもうすぐ子どもの生まれる父親として登場し、計画中にもかかわらず帰国して出産直後の病院に向かったりするような、とびきり人間くさい人物として描かれる。しかし、暗殺の場面はスリル満点、しかもリアルでむごさも感じさせる。特にオランダ人の女性を殺害するシーンで、弾の痕からしばらくして血が流れ出すところは背中がムズムズする。主人公の悩みと行動の描き方がちぐはぐで、どちらも中途半端になっている。
中心にあるのは暗殺部隊に入ってしまった1人の青年の苦悩なのだろうが、ミュンヘン・オリンピック後のイスラエル政府による報復という歴史上の出来事の中で描く必要はなかったのではないか。歴史上の出来事を描きたいのであれば、1人の人間の生き方に重きを置くべきではないと思う。


ロード・オブ・ウォー
   Lord of War
2006年10月24日  
監督:アンドリュー・ニコル
主演:ニコラス・ケイジ
    イーサン・ホーク

        
ユーリー・オルロフはウクライナからの移民であるアメリカ人。うだつの上がらない生活をしていたが、ある日武器証人としての自分の才能に気づく。弟のヴィタリー(ジャレッド・レト)と一緒に商売を始め世界中に手を広げていき、理想の女性との結婚まで果たす。しかし、弟は麻薬中毒で頼りにできなくなり、捜査官のジャック・バレンタイン(イーサン・ホーク)の目も厳しくなっていく。
オープニングの銃弾が製造され、運ばれ、発射される、CGを使ったシーンで、この先大丈夫なのだろうかと不安になったが、その後は意外とシビアに展開していき、シニカルな作品として作られていたので、鑑賞後の気分はそれほど悪くなかった。絶賛できないのは、登場人物の性格がいまひとつはっきりしないことが原因。ユーリーは自分の武器商人としての商才と悪運の強さを発揮して裏の社会で成功していく。しかし、弟への対応や妻子への対応など、人間的にはすばらしい人物として描かれる。そんな人物が多くの犠牲者を生み出すもととなる商売を平気で続けていくのはなぜなのだろう? 変な理屈で自分を正当化しようとしているが根はいい人のように描かれているこの主人公を、どのような存在として伝えたかったのだろうか?


バンディッツ
   Bandits
2006年10月17日  
監督:カーチャ・フォン・ガルニエル
主演:カーチャ・リーマン
    ヤスミン・タバタバイ

        
女子刑務所の中で結成されたロックバンド“バンディッツ(悪党)”は、ドラマーのエマ(カーチャ・リーマン)、ギターとボーカルのルナ(ヤスミン・タバタバイ)、ベースのエンジェル(ニコレッテ・クレビッツ)、そしてキーボードのマリー(ユッタ・ホフマン)の4人。警察のパーティーで演奏するはずが、偶然脱走してしまう。そして、クラブで演奏したりレコード会社で逃走資金を巻き上げたりと、ハチャメチャな逃避行が続く。果たして4人の運命は……。
演奏のシーンがふんだんに盛り込まれ、ロックバンドのビデオ・クリップをつぎはぎしたような感もあるが、いい曲が多く大いに盛り上がる展開になっている。まず、メンバー全員が女性で年齢もまちまちという設定がよい。男が常識はずれなことをやるとただの間抜け野郎にしか見えない場合があるが、女性だと一味違う面白さが出てくる。ルナのとんがり方もいいし、エマの表情もいい、マリーの哀しみもうまく表現されている。また、この手の作品ではお決まりの、出し抜かれてばかりの警察もうまくはまっている。
“明日に向って撃て!”を思い出させる作品ではあるが、ラストにはちょっと違ったメッセージがあって感動!


ディア・ウェンディ
   Dear Wendy
2006年10月10日  
監督:トマス・ヴィンターベア
主演:ジェイミー・ベル
    ビル・プルマン

        
炭鉱で働くことが男として当たり前という小さな町に住むディック(ジェイミー・ベル)は、炭鉱で働けない自分を“負け犬”だと感じていた。ある日、かつて自分が買ったおもちゃの銃が本物だったことを知ったディックは、その銃に“ウェンディ”と名まえを付け常に携帯するようになる。銃を身につけることで自信が出てきたディックは他の“負け犬”たちにも自分と同じように自信を持ってもらおうとして、“ダンディーズ”を結成するが……。
“ダンサー・イン・ザ・ダーク”“ドッグヴィル”の監督であるラース・フォン・トリアーが脚本を書いた作品。社会に従わざるを得ない状況の中でもがき苦しむ人間たちが、悲劇的な結末を迎えるというテーマはこの作品にも共通している。ただ、登場人物たちの行動が幼稚に見えてしまい感情移入できない分だけ、他のラース・フォン・トリアー作品に比べると軽い感じがする。どうしようもないほど追い詰められていないからかもしれない。そんなストーリーだから自分で監督しなかったのだろうか。
銃社会に対する批判の作品と見ることもできるのだろうが、銃はあくまでもテーマを展開させていく上での手段の一つで、本当に描きたいのは愚かな人間だと思う。


クラッシュ
   Crash
2006年10月3日  
監督:ポール・ハギス
主演:ドン・チードル
    サンドラ・ブロック

        
母との関係に悩む黒人の刑事グラハム(ドン・チードル)と同僚で恋人でもあるヒスパニックのリア(ジェニファー・エスポジート)、雑貨店を営むペルシャ人のファハド(ショーン・トーブ)、地方検事で白人のリック(ブレンダン・フレイザー)とその妻ジーン(サンドラ・ブロック)、熱心に父の看病をするが人種差別主義者の白人巡査ライアン(マット・ディロン)、ライアンの同僚で白人のハンセン(ライアン・フィリップ)、鍵屋に勤める黒人のダニエル(マイケル・ペニャ)、映画制作者の黒人夫婦キャメロン(テレンス・ハワード)とクリスティン(タンディ・ニュートン)、そして黒人青年のアンソニー(クリス・“リュダクリス”・ブリッジス)とピーター(ラレンズ・テイト)らが、さまざまな“衝突”を繰り広げる群像劇。
いろいろなエピソードを豪華キャストで展開させていく、人種差別問題がテーマの作品。とてもたくさんの人物が登場するが、それぞれがお互いの人生に影響をあたえていくという構成でうまく作ってある。後半をうまくまとめすぎているように思えるのは、テーマがテーマだけに勧善懲悪っぽくするしかなかったということだろうか。ある家族を除いて有色人種はみんな救われる。活かしきれていないビッグネームの役者がいるところも少し残念だった。クレジットでは一番最初に名前が出てくるのに、サンドラ・ブロックは他の役者の陰に隠れてしまったように感じられる。
それにしても、ドン・チードルの悲しそうな表情は天下一品である。


スタンドアップ
   North Country
2006年9月26日  
監督:ニキ・カーロ
主演:シャーリーズ・セロン
    フランシス・マクドーマンド

        
暴力を振るう夫から逃げるために2人の子どもを連れて故郷の町に戻ったジョージー・エイムズ(シャーリーズ・セロン)は、友人のグローリー(フランシス・マクドーマンド)の誘いで鉱山で働くことになる。しかし、そこでは女性に対する嫌がらせが当たり前のように行われていた。女性の労働環境向上のために立ち上がるジョージーだったが……。
実話を基にした作品だが、女性の労働環境改善のために立ち上がった1人の女性のドラマに、子どもとの関係も同時に描こうとしたために、中途半端になってしまったような気がする。「本当に大切なものはやっぱり子ども」というのはもちろん否定できないが、この作品の中で、親子の関係はもっと小さな扱いでもよかったのではないかと思う。
とにかくシャーリーズ・セロンのための映画。鉱山労働者であるはずのジョージーは他の女性に比べてきれいすぎだし、カッコよすぎ。“モンスター”のときのイメージのほうが似合うのではないだろうか。


シン・シティ
   Sin City
2006年9月19日  
監督:フランク・ミラー
    ロバート・ロドリゲス
    クエンティン・タランティーノ
主演:ブルース・ウィリス
    ジェシカ・アルバ

        
ものすごい肉体(何度車に轢かれても大丈夫)と顔を持ったマーヴ(ミッキー・ローク)が惚れた娼婦の敵討ちをする話と、かつての恋人が仕切る女たちの町を救うためにドワイト(クライヴ・オーウェン)が戦う話、そして、8年前に助けた少女を再び変質者である上院議員の息子ロアーク・ジュニア(ニック・スタール)から救おうとするハーティガン刑事(ブルース・ウィリス)の話の3部からなるコミックが原作の作品。
モノクロの画面に女性の唇だけが赤というような一見スタイリッシュな映像で展開されていくが、内容はほとんどスプラッターの世界と言ってもいいくらいの残酷シーンのオンパレード。もしすべてカラーだったらとても正視できないと思う。タランティーノが“Kill Bill”で、実写ではまずいのではないかという場面にアニメーションを用いたのを思い出す。
期待していたベニチオ・デル・トロは特殊メイクで顔が変わってしまっていて、デル・トロでなくてもよかったのではないかと思える。本人の面影が全くなくなっているミッキー・ロークよりはましかもしれない? イライジャ・ウッドは面白い役を演じていたが、これも誰でもよかったのではないか。ゲスト出演というわけではないのだから、役者本人のよさを見せてほしい。ロバート・ロドリゲスは低予算で撮らせたほうがいい監督だろう。


パリ空港の人々
   Tombes du Ciel
2006年9月12日  
監督:フィリップ・リオレ
主演:ジャン・ロシュフォール
    マリサ・パレデス

        
パスポートや財布の入ったカバンと靴を盗まれたアルチェロ(ジャン・ロシュフォール)は、パリのシャルル・ド・ゴール空港で入国できず、空港のトランジット・ゾーン(外国人用処理区域)で過ごすことになってしまう。そして、そこに住み着いていた黒人少年ゾラ(イスマイラ・メイテ)、自称元軍人のセルジュ(ティッキー・オルガド)、国外追放になった女性アンジェラ(ラウラ・デル・ソル)、言葉の通じないアフリカ系の黒人ナック(ソティギ・クヤテ)と奇妙な共同生活が始まる。空港ではアルチェロの妻スサーナ(マリサ・パレデス)が待っているのだが……。
とてもよくできたヒューマンドラマ。本当の家族よりも結びつきが強いように思われる空港内で暮らす人々が、コミカルに、そしてちょっぴりせつなく描かれている。舞台はほとんどが空港内なのだが、限られた空間であるにもかかわらずさまざまな場所を描き、閉塞感を感じないようにしているところは、徐々に空港内の人々に惹かれていくというアルチェロの心情の変化を無理のないものにするという効果もあげている。また、さりげないしぐさや表情が活きていて1人ひとりの登場人物の存在感がものすごい。特に、ちょっとヒステリックな妻スサーナを演じたマリサ・パレデスはすばらしかった。こういう役をやらせたら右に出るものはいないのではないだろうか。
大きな盛り上がりはなくあっさりと終わっていくが、高い満足度を得られる作品。


キング・コング
   King Kong
2006年9月7日  
監督:ピーター・ジャクソン
主演:ナオミ・ワッツ
    エイドリアン・ブロディ

        
野心家の映画監督カール・デナム(ジャック・ブラック)は、地図に乗っていない島の存在を知り、映画会社の意向を無視して船を出す。偶然たどり着いたその島には恐竜などの巨大生物が生存していた。原住民たちによりコングと呼ばれる巨大なサルの生贄にされた女優アン・ダロウ(ナオミ・ワッツ)を救おうと島の奥深くへ入った脚本家のジャック・ドリスコル(エイドリアン・ブロディ)らは、さまざまな恐ろしい目に遭いながらアンを救出し、同時にコングの生け捕りにも成功する。アメリカに連れてこられたコングは見世物にされるが……。
オリジナルどおりのストーリー展開であるが、全体で3時間を越える作品になっている。島に到着するまでの部分に時間をかけて登場人物をしっかり描こうとしたところはよいと思うが、島の中で恐竜や虫に襲われるシーンが長いのはどうだろう。とにかく、メインのストーリーを忘れてしまうくらい長い。CGを駆使した恐竜の映像は確かにすごいと思うが、ずっと見せられるとちょっと食傷気味になってしまう。人がたくさん死んでいくのもいただけない。いわゆるイイ人が殺されてしまうところを感動的に描こうとするが、何のために死んでいくのかという理由がない。ストーリーの展開においても死んでいく必要は全くない。首謀者であるカール・デナムは生き残り、ラストでビルから落ちたコングの死体を見つめているが、そのときに自分の野心のために命を落とした者たちのことを思っているようには見えない。かつての作品からは見出せたテーマがどこかへ行ってしまったような気がする。


ランド・オブ・プレンティ
   Land of Plenty
2006年8月6日  
監督:ヴィム・ヴェンダース
主演:ジョン・ディール
    ミシェル・ウィリアムズ

        
宣教師の父を持ったために、アイオワ生まれであるがアフリカ、パレスティナで育ったラナ(ミシェル・ウィリアムズ)は母の死の後、母からの手紙を持ちロサンゼルスに住む伯父のポール(ジョン・ディール)を訪ねる。ポールはベトナム帰還兵で、ロスの街をバンで巡回ながらテロリストを探す毎日を送る偏執的な男だった。ある日、ポールが目をつけていた男がラナの生活している伝道所の前で射殺される。その事件の謎を追う二人は……。
アメリカ人には決して撮れない、アメリカを舞台にしたアメリカ人が主人公の映画。アメリカ人の象徴ともいうべきポールを、外国人の目を持ったラナが見ているという設定は、ドイツ人であるヴェンダースにとって描きやすいものだったろう。ポールは他人(特にアラブ系)を常に疑い、さまざまな装置を駆使して警戒を続ける。狂気に近いものもあるし、コミカルに思えるところもある。ラナは伝道所で生活し、どんな人にも優しさをもって接しようとする。ラナ=ヴェンダースとは言えない(作品自体がアメリカ人を憐れんでいるようにも思えるが、ラナにそんな部分はないので)が、外国で暮らしていたラナはアメリカ人が失ったものをもち続けている。ある意味では非常に厳しい社会風刺である。
映像の美しさはさすがヴェンダース。オープニングのデジタル処理された映像(ポールが夜間の巡回をしているという設定か? しかし飛行機内のラナの寝顔で普通の映像に戻るのはなぜ?)の次に映し出されるロスの夜景がすばらしい。ビルの重量感と圧迫感のようなものを感じさせ、アメリカを見事に表している。郊外を車で走る場面では、工場の煙突から青い空に向かってまっすぐに伸びる白煙が印象的だった。


ドミノ
   Domino
2006年7月28日  
監督:トニー・スコット
主演:キーラ・ナイトレイ
    ミッキー・ローク
賞金稼ぎとなったドミノ・ハーヴェイ(キーラ・ナイトレイ)は持ち前の度胸で仲間のエド(ミッキー・ローク)、チョコ(エドガー・ラミレス)からも認められるようになる。あるとき、1000万ドル強奪事件の犯人の身柄拘束の仕事が入り、うまくいったように思えたのだが……。
凝りに凝った映像が先走って、ストーリーがついていっていないという印象の作品。リドリー・スコット監督の弟でCMをたくさん手がけていて、映像が売り物の監督だけに、映像が楽しみではあったのだが……。これでもかとばかりに同じような映像を見せられて、途中から疲れてしまった。1秒間のコマ数を少なくして撮影し、動きのあとが残像となって見えるような画面や、まばゆいばかりの色彩に包まれた画面などを惜しげもなく見せてくれるのだが、たくさん見せればいいというものではないだろう。ストーリー展開を引き立てる映像とは言い難い。普通の映像の場面が出てくるとホッとしてしまうくらいである。ストーリーそのものがぱっとしないので、総合的には長〜いプロモビデオを見ているようだった。「部屋を明るくしてテレビから離れてご覧ください」という注意がぴったりあてはまる作品。脇を固めたジャクリーン・ビセットとミーナ・スヴァーリ、ルーシー・リューはよかったが……。


無理心中 日本の夏
   
2006年7月20日  
監督:大島渚
主演:佐藤慶
    桜井啓子
男を求めてさまようネジ子(桜井啓子)は、死にたいと思っているオトコ(佐藤慶)と出会い、銃を掘り出す男たちを見てしまったことから、抗争を目前にしたヤクザのアジトに連れていかれる。そこには助っ人として集められた男たちがいて……。
無気力な主人公に「武器を向けられたとき相手の瞳に自分の姿が映る。その時、自分は何をすればいいかわかるはずだから」と言わせるようなところから伝わってくる哲学的要素だとか、最終的に主人公に武器を向けるのは国家権力だったというような社会批判だとか、堅苦しく考えようとすればいろいろなことが言えるのかもしれないが、そんなことを抜きにして見たほうが面白いのではないだろうか。殿山泰司、田村正和、小松方正、戸浦六宏といった登場人物が皆ものすごく個性的で(たぶん、一人ひとりに意味があるのだろう)、集まった場所が抗争目前のヤクザのアジトというシチュエーションがすばらしいし、廃屋のような建物の内部のデザインも秀逸。「愛のコリーダ」以降の作品しか知らなかった小生の、大島渚に対するイメージを変えてくれた作品。


あの夏、いちばん静かな海。
   
2006年7月12日  
監督:北野武
主演:真木蔵人
    大島弘子
耳の不自由な茂(真木蔵人)はごみ収集の仕事をしているとき、壊れたサーフボードを見つける。自分で修理して使えるようにし、練習を始める。初心者だったが、毎日の練習によって少しずつ上達していく。サーフショップの店長に大会に出てみないかと勧められるが……。
セリフを極力なくし、映像だけで見せようとした意欲作。耳が不自由という設定にして、主人公を作品中で一言もしゃべらせない。他の登場人物のセリフも必要最小限にとどめている。映像で勝負しようとしている監督の気持ちがうれしい。そして、その映像は構図がしっかりしていて、印象的な場面が多い。海沿いの道をサーフボードを抱えて画面の左から右へと歩く茂と貴子(大島弘子)、初めての大会のあと道の端に座っている2人の前を画面の左から右に通り過ぎていく車。カメラを固定する場合も移動させる場合もあるが、他の北野作品でも画面を登場人物や車が横切っていく場面は数多く見られる。“ソナチネ”の、喫茶店の中から道路を歩くたけしと寺島進を撮った場面などはその代表的なものといってよいだろう。印象的であると同時に独特の味わいを持っている。
ときどき出てくるたけしの芸人魂のあらわれのような場面(茂のまねをしてサーフィンを始める間抜けな2人組みや、海に出る途中で必ず転ぶ男の場面)は、映画全体のセンスのよさと比べたときに質の悪さを否定できないのが少し残念。オシャレな笑いを組み合わせられると、もっとすばらしい作品になるのではないかしら。


エリザベスタウン
   Elizabethtown
2006年7月5日  
監督:キャメロン・クロウ
主演:オーランド・ブルーム
    キルステン・ダンスト
シューズメーカーに勤務するドリュー(オーランド・ブルーム)の開発した商品は会社に10億ドルもの損害を与えてしまう。自殺を決意したドリューだったが、決行寸前に父の死を知らされる。葬儀のために父の故郷であるエリザベスタウンに向かったドリューは飛行機の中でクレア(キルステン・ダンスト)と出会うが……。
いろいろなものがとっ散らかっていてまとまりのない作品。前半はドリューの失望感を描きたいのかもしれないが、自殺の方法がなんとも間抜けだったりして、どこまで本気なのかがわからない。葬儀のときのスーザン・サランドンのスピーチとダンスも展開の中で不必要、スーザン・サランドンの出番を増やすためのように思えてしまう。見ていて飽きない女優だが、こういう使われ方は可哀想だ。そして、終盤はクレアが突然アメリのような性格になり、有名な観光地を巡るロードムービーになる。よく考えずに思いつきで作ってしまった作品のように感じられる。


映画への独り言